menu
JP/EN


† January 8th, 2018

『幻日本コジキ・ZA2:神生み-世界の果ての見えない王国-』

editor

 『幻日本コジキ・ZA2:神生み-世界の果ての見えない王国-』
絵・文:十一







「もしもし?」
「こちら赤い樹1号室コールセンター№一不可説不可説転マイナス9です。」
「・・・はい・・・。」
「お忙しいところ申し訳ございません。<初めての家>イザ様とイザナ様でお間違いないでしょうか?」
「?・・・はい。」
「お時間よろしいですか?」
「はい。」
「桃色信長様よりお荷物お預かりしております。再配達させていたただきたいのですが、いかがでしょう?」
「も・も・い・ろ・の・ぶ・な・が・さ・ま?」
「左様です。幾度か配達に伺っているのですが、お客様がお留守のようでして。」
「はあ。」
「異次元アインシュタイン便でお預かりしております。今からお送りさせていただいてもよろしいですか?」
「異次元、アイン、シュタイン便?」
「はい。時空を超える光速の冷凍便です。あっちからこっち、こっちからあっち。時と場所を超えて言葉より早くお届けいたします。」
「は、はい。」
「では、ただい、」
ま、と言う前に赤い大樹の中にストンと落ちてきた。

-5分前-
イザとイザナは今日も元気。
毎日の始まりは遠くに向かって声を出す。
<ぐあぐわげーん、ぎゅわばらじょ~、んぢゃばにょ~ん、どびょーびばっちゅーいっ!>
ストレッチを充分にしてから四股を踏み、股をわる。
身体全体に血液が回ったことを確認すると、二人は相撲を取る。
ここ最近、イザはイザナによく投げ飛ばされてあまり勝てない。
<土俵際が弱いんだよなあ>とイザは今日も呟いた。
イザの肩をぽんっと叩き、
「キーピンタッチ、一蓮托生、森羅万象、開心見誠。」イザナは笑って言った。
ネイティブの英会話教師がTVCMで<あなたもできる!>みたいなことを言って、見ている方はイラっとして、英会話教室の経営陣は<おまえらはできねえ>と知っていて、僕らをカモだと笑っていて、経営者とはそういうもんだ、そうイザは思った。ダイエット食品もだ。やるせない。
イザは腰を上げ、四股を踏んだ。
イザナは自分たちが生んだ遠くの島々に声をかけている。
「愛だー! 愛だよー!」
二人が生んだ国々はにこにこ笑ったり、ぐずったり、すやすや寝ていたり、にゃーにゃーと泣いたりしている。
電話が鳴った。
252588,2588
赤い大樹の枝になった実がぴこぴこ光って鳴っている。
それに気付いたイザはその実を捥ぎ取るとぴーっと枝から線が出て、
その実が半分に割れて、ザーザーした砂嵐を映し出している画面から女の子の人形が現れた。
「もしもし?」




「お受け取りのサインをお願い致します。」
画面に映った女の子が言った。
女の子の後ろにはまったく同じ顔の女の子たちが永遠に並んで机に座り、一様にお客様対応をしている。
みな同じヘッドセットをしていて、みな裸。で、同じ髪型。
「サイン?」
「音声認証でも結構です。YESとお答えください。」
「・・・YES.」
「どうもおおきに毎度あり。何かお困りの際はいつでもご連絡お待ちしております。電話番号252588,2588(にこにこぱっぱ・にこぱっぱー)。」
呪文のようにテレフォンオペレーターは言った。
何万と整頓されたデスクに裸で並び、252588,2588と唱える人形少女のテレフォンオペレーター。
だれが社長で、だれが経営者なんだ?とイザは思った。
252588,2588
 
イザはイザナを呼び、赤い大樹の中に冷たい煙を出して鎮座する荷物を取り出して二人の間に置いた。
なんだこれ? ももいろのぶなが? だれだそれ?
ひんやりとしたその塊は桐の木箱で表に唇のシールがたくさん貼ってある。
安心安全・252588,2588・異次元アインシュタイン便と大きく書かれていて、
見えないものへ、黒へ、光へ、とキャッチコピーが小さく記されている。
目ん玉のイラストとその下に<INVISIBLE INC.>と印刷されている。
イザはイザナを不安げに見上げると、
イザナはいつもこういうとき、きれいに笑った。
ほわほわと冷気を放つこの箱をどうやって開けるんだろう?とイザナが思案していると、
箱に張られた唇たちがぞわぞわ動き始め、円になって回り、唇たちが光速回転する中心に黒い穴ができ、その穴にイザナが親指を入れるとガチンガチンと何かが外れていく奇妙な木と鉄の音が幾度か鳴って天板がすっとすこしだけ横にずれ、その隙間から冷たい煙が立ち昇った。
年でもとるのだろうか?
 
イザナはイザに目配せして蓋を開けるように目で言った。
イザは小さく震える手で蓋に触れると、
「やっぱり私が、デキル!」とイザナが大絶叫して結局イザナが蓋を開けた。
もやもやと煙があがり二人は身震いして中を覗き込んだ。
高価な布に包まれたものが三つと指輪が二つ、火で焦げた跡がある巻物が一本、そこにはあった。
指輪には双子の二つの顔が刻まれている。




「わしは今、この手紙を火の中で書いておる。ここ本能寺。金柑頭めが攻めてきたようじゃ。ま、良いわさ。人間五十年下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。良いわさ、良いわさ。敦盛を舞い次へ行こうぞ。イザ殿、イザナ殿、そなたたちにこの書を記す。火の手が近づいてきた。なんじゃ、ありゃ、どでかい鳩が

途中で失敬。
火の手がいやに早かったので筆を折らざるえなかった。先の文は天正10年6月2日の未明に書いたものじゃ。金柑頭が攻めよってな。ようやりよったわい。火の手が上がり炎に囲まれ万事休す。これが天下人の最期かと腹に刀を入れようとしたとき、小さな火の玉がそよそよ浮かび、近寄ったかと思うと、心臓?いや、現れてな、桃が。して、桃が鳴りよった。252588,2588とな。その鳴りよる桃を手に取るとパカッと割れてな、そこに映った裸の幼子がわしにこう言いよった。<ヒノコ様からのご伝言です>とな。はあ? わしは鬼のように笑ったわい。伝言とはこうじゃ。ヒノコの映像が流れ、後ろに桜の木が一本はえておった。<桃色と死、どちらがよろし?>と始まった。わしはようわからなんだ。ヒノコが<私はママを殺し、これからパパに殺される。桃色を選ぶならセンヘイに。死ならどうぞご自由に>とな。そして桃色ならと二つ交換条件を出してよこした。

わしは今、桃色信長となってエーゲ海のオスマン帝国、昨今ギリシアと呼ばれる土地にいる。
ここへ来る前にはいつかインドと呼ばれる場所に寄り、ムガル帝国の君主アクバルに会い、異相のわしを天下人として丁寧に接待していただき、アクバル大帝の勧めでヴァールミーキやヴィヤーサが残した叙事詩を堪能した。
またその後、イタリアではピサ大学でガリレオ教授に教えを請うた。天と地、生命。深いのお。深い。
白い家々が立ち並び、エーゲ海が一望できるテラスで今この書をしたためておる。
プラトンとアリストテレスの哲学書を読む日々じゃ。深い。
『知性』という名の老人が言った。<お前に与えられたものは差別と無知と恐れと肉だ。>
『思い出』を売り買いする商店の女主人が言った。<この商売で大切なことは健全な実感と失うことの強さ、獲得することの犠牲。つまりは誰もが人生には“思い出”が必要で、それが究極の救い。それを私たちは商売にしているのさ。>
『方位磁石を持ったピエロ』が言った。<私は正しい方角に行く。だが時としてそれは無為な山が待っているかもしれない。山から見える戦争はなくならない。君たちは常に飢え集い、争う。完璧な平和は来ない。しかし、私たちはそれを追い求めなければならない。なぜなら、高価な牙を持った強者を喰うには、甘くて劇薬の“はちみつ”を弱者が作り、彼らだまして酔わせるしか方法がないのだから。>
わしは、炎の中、センヘイ(鳩と戦車が合体した乗り物)に乗ってここにやってきたというわけじゃ。
 

話が反れた。
交換条件とはこうじゃった。本能寺でのヒノコの伝言=火の神との条約でわしはイザ殿とイザナ殿にこの書<神生みキット>を書き送らなければならない。それが一つ。そしていくつかの品物を同封する。それが二つ。
して、ここに<神生みキット>を書き記す。すべてはヒノコの伝言通りに。
まずはその三つの包みを開けてみなされ。」

イザとイザナは美しい艶を放つ高価な布をほどいた。スルスルと。
一つが金、一つが赤、一つが白のダルマだった。
ぬるっとした生温かい血が所々にべっとりと付いている。
それぞれのダルマの眼が異常にきらきらしている。
二人はぞっとして、桃色信長の書に目を戻した。
焦げた臭いがする。

「三つのダルマがある。その中に二つ目の交換条件、わしの“もの”が入っておる。
一つ目(白ダルマ)には、わしの“目玉”。
二つ目(赤ダルマ)には、わしの“耳”。
三つ目の(金色ダルマ)には、わしの“睾丸”じゃ。

ヒノコからの伝言、交換条件を聞いてもわしはちとも驚かなんだ。この先二つもいらぬ。ひとつで結構。燃え盛る炎の中で、それをえぐって切ってダルマに入れた。
交換。そう、エーゲ海を望みながらソクラテスを知れるのなら安いもんじゃ。天下すら安い。猿もグリーンを選べばよいのにのお。

ここより本題。戦じゃ。
これを書き記さなければ約束は果たせぬ。
イコール、わしの桃色がわしを喰い始める。ヒノコとの約条、この後宇宙に行けぬ。次、目指すは天上人。

イザ殿は黒の指輪、イザナ殿は赤の指輪をはめよ。これも約条。この指輪、わしの愛用品、クリエイティブ・ディレクターの千ノリQがプロデュース、下地は超Z郎、塗りはATOK狩野の他にないリQ好みの大名物じゃ。
蝶。赤ダルマに入っているわが耳に泥を塗り、この書状<生命の白>に刷る。これすなわち大阪画。(今から約500年後の21世紀、そなたらの土地で発祥する絵画のスタイル也。※ちなみに東京画もその後誕生する。)それをちぎって表と裏、左右対称に並べイザナ殿の唾液でくっつける。そこにイザ殿とイザナ殿の毛髪を一本ずつ触角のごとく差す。白ダルマのわしの目玉を耳の羽根に捺す。最後に金色ダルマの睾丸を磨り潰し、その粉を振りかけよ。そして、そなたたち二人がはめる指輪の顔に息を吹きかけ、そすれば証としてそれぞれが光って片方ひとつずつ泣く。その涙で祝福をする。蝶の形をした『生命』が飛び、舞い、赤い大樹の中で神が生まれる、とのこと。これを先の迫り狂う炎の中ではすべて書けなんだ。目玉をえぐり、耳を切り、睾丸をちぎりダルマに入れ、生命の白にヒノコの伝言を書き始めるとその場の約条は成った。そこでわしは桃色信長となり、炎の中にセンヘイが現われ、それに乗りわしは今エーゲ海にいるというわけじゃ。だがそれでは終わらぬ。神が生まれ、ヒノコがパパに殺されるときはじめてヒノコがボタンを押す。そこでわしは桃色から解放され本物の自由を獲得できる、らしい。しからば、イザ殿、イザナ殿には然るべき手順でもってこの条約を果たしてほしい。これもまた約束。天下人たる武将の祈願。ここエーゲ海で敦盛を踊ろうぞ。

されどこの<神生みキット>をそなたたちに送る今日は天正18年7月16日。猿めが次の天下人になろうとしとるとき。あっぱれあっぱれ。その次は狸か。緑の猿と黄色の狸。天下がまずは鳴りをひそめる。隣でセンヘイがあくびをしておるわっ。上上、上上。一度も見たことも聞いたこともないイザ殿イザナ殿。されば桃色信長の書はここに終わる。ヒノコからの伝言、しかとそなたたちに伝えたぞよ。252588,2588。異次元アインシュタイン便にてお送りする。果たすは必定。わしの目玉と耳と睾丸、そちたちにくれてやる。さあさ、神生み。夢幻のごとくなり。」
 

桃色信長からの手紙には血判と共にこう書かれてあった。
巻物が焦げ臭かったのはそういうわけなのか。イザとイザナは鼻の奥が痒くなった。
ダルマは頭が蓋になっていて、それぞれのダルマに桃色信長の目玉・耳・睾丸が入っていた。どれも生温かく鮮やかな血がまだべっとり付いている。
二人は真っ青な顔をして手紙にあった手順で蝶々のような形のものを作った。指輪が泣き、祝福を授けると、それが飛んだ。舞った。最初は弱々しく頼りなさげにひらひらと。
耳の形をした羽根の蝶々がそわそわと飛ぶのをイザとイザナは夢の中のできごとのように目に留め、それが赤い大樹へと向かって舞っていく。
春なのか。巨大な貝の中に立ち、豊満な身体で絹のような金色の髪をなびかせている裸の貴婦人を想像した。ひらひらと舞うそれが赤い大樹の穴に入る。ことり、と音がした。

赤い大樹の穴の中で影が動いた。のっそり出てきた。大男。動きがのろい。
「国生みごくろうさーん。パパ、ママ、よーやった。」
イザ、イザナと同じ身体をした、だが異常に背のでかい大男が太く言った。
パパ? ママ? イザとイザナはTVCMでも見ているのかと思った。
英会話の次はダイエット食品で、その次は自己啓発本の押し売りかと思ったほど視界がわずかに歪んだ。なになにホールディングスCEOの胸を張った自信満面の笑みが頭をよぎったが、パパ、ママと呼ばれた安堵さが二人を包んだ。幸せとは空気のようなものなのかもしれない。マジックワード。幸せは空気。空気がなければ私たちは死ぬ。
イザとイザナに子が生まれた。
その子は二人が生んだ神だった。大男の。のろくて、とろい。
二人は愛に包まれる。


愛とは魔物だ。熟れすぎた林檎。
とろけるような、ぼーっとしたような、自分が自分でないような、胸がうきうきわくわくし、心臓がどきどきとする。イザは、イザナとの子だとにんまりし、イザナは、イザとの子だと自信をもって美しくほほえむ。身体全体がぽかぽかと暖かくなり、桃色信長が送ってきた彼の品物を見たときとは正反対のやさしい赤で抱きしめられる。暖かい。パパ。ママ。小さな裸の女の子がまっすぐこちらを見つめ、両手を広げて駆けてくる。なにも疑うことのない、透き通った瞳でこちらに駆けてくる。自分を大切に、大切に守ってくれる、やさしく抱きしめてくれると、ただそれだけを感じて、信じて、駆けてくる。わたしはなにもいらない。わたしはなにも知らない。あなたたち、わたしのパパとママ以外は、と。パパとママがいたらそれだけでわたしの世界は満たされているの。パパ、ママ、大好き。そう言って駆けてくる。ロケットなんて怖くない。ミサイルなんて怖くない。世界なんて怖くない。パパとママがいれば。そう言うわが子をこの腕で抱きしめる。抱きしめた衝動が心臓、心を熱くする。わたしの子。わたしの子。この子のために死んでもいい。この子のために生きたい。桃色信長もそう思ったのだろうか。イザとイザナは初めて生んだ巨大な長身の髭もぼーぼーのわが子を見上げてそう思った。
のろまな木偶の坊。だが、愛するわが子だ。

二人は続々と神を生んだ。
それぞれにパパとママと呼ばれるのが非常に心地よい。
今までに味わったことのない快感だ。
ちっちゃい子もいれば、太っちょもいる。目が離れた子もいれば、ハンサムな子も生まれ、イザと似たすきっ歯の子も生まれれば、イザナと似た出っ歯の子も生まれた。
びっくりするような美人の子もいたら、小指の大きさの子もいた。
マスカットのような子も。
 
それぞれにイザとイザナはわが子たちの誕生を心から喜び、泣いた。
桃色信長からの書はまだまだ残っている。泥をつけて耳で刷り、髪を差して粉を振りかけ祝福をする。
わが子たちが、新しい神たちが次々と生まれる。
東の楽園とはここではないのだろうか? 二人は増える新しい命に感謝した。光に。闇に。

そして、ママを殺すヒノコが生まれる。




風の神、海の神、河の神、山の、木の、野の、イザとイザナは沢山のわが子、神を生んだ。
みな同じ方法で、
耳の蝶が飛び、赤い大樹の穴から出てくる。
イザをパパと呼び、
イザナをママと呼ぶ。
肌の色、髪の色、目の色、それぞれ違い、
まさかイザとイザナの子なのだろうかと疑うほどそれぞれに容姿、形が違っていた。
国を生み、神を生み、イザとイザナはこの世界が喜びと光で満ちていくのを肌で感じた。
チャプリ雲は、私たち二人の「時」だと言った。
二人は満ちていく光と、そのバランスに対抗して失っていく闇との間にいた。
子が、神が増えることで<初めての家>は喜びで騒騒しくなり、ケンカも絶えないがそれを上回るはぴねすが-Happiness-が初めての家全体を包む。
ヒノコ。
二人で生んだ最後の子。
イザナはヒノコに殺される。




その日も穏やかな、晴れやかな一日だった。
日課になった遠くへ向かっての大声を家族全員で放つ。
<ぐあぐわげーん、ぎゅわばらじょ~、んぢゃばにょ~ん、どびょーびばっちゅーいっ!>
四股を踏み、みんなで相撲を取る。
イザナが遠くの国と巣立った神、多くのわが子たちに向けて、
「愛だー! 愛だよー!」と贈る。
その時のイザナの目はいつも力強く潤んだ心の底からの言葉を語る。
私たちには言葉がある。私たちにはわが子がいる。私たちには光がある。
闇なんて怖くない。ヒト蛇が吐く黒さえも。
イザはそんなイザナをたくましく見つめ、今日も一日が始まると心に祈る。
すべての祝福を、すべてのものに。このはじまった世界が、健康で、すこやかに、死んでなくなるその時まで、桃で満たされますように、と。
遠くのチャプリ雲に似た雲が形を変え、テディーベアに見えた。
世界は私たち、そしてあなたも含む、私たちすべてのものでありますように。私たちすべてが、この世界のものでありますように。そう、イザは目を閉じ平和に願った。
そんな、しずかな一日のはじまりだった。

皿を作ってみた。
千ノリQだったらなんて言うのか? 超Z郎の品の方が上上だと言うのだろうか? そこに<NOT FOR SELL>と描いてみた。ATOK狩野であれば何を描いた? イザとイザナはそのおかしな形をした皿(顔がひとつある)に食事を盛ってわが子たちに出してあげましょうと互いを見つめて正しくほほえんだ。
双子の顔がついた指輪をはめる。
桃色信長から届いた手紙、生命の白に、彼が自ら切りおとした耳に泥をたっぷり付けて刷る。もう耳には桃色信長の血は付いていない。
ちぎる。
イザナの唾で紙をくっつける。
互いの髪を抜き、差す。
目玉を捺す。
粉を振りかける。
息を吹きかけ光を放つ指輪が泣き、祝福をする。
空気が止まる。
それが飛ぶ、
それが舞う。
私たちの頭で、
私たちの手で、
私たちの足で、
世界が生まれ、広がる。
飛んだ蝶が赤い大樹の穴へと向かう。
空気が動いた。
二人の子。
新しいわが子。

<最後の子>

「ママー!!!」
穴から悲痛な叫び声が上がり、
イザナが走った。
笑みが消え、目に血が走る。
イザは止まる。
心臓が固まる。
炎。
イザナは紅い炎が染める赤い大樹の穴に身を入れる。
大丈夫。大丈夫。と、言いながら。
イザナが燃えている。
イザナが、燃えている!
炎の中で「わが子。ヒノコ。火の神・・・。大丈夫。大丈夫。」とやさしく言いながら。新しいわが子を腕で抱きしめながら。
<大丈夫、大丈夫>
愛するわが子。
新しい生命。
燃え盛る熱い炎の中でイザナはイザを向き、笑った。
イザの頬に涙が流れる。
イザナは言った。
「大丈夫。大丈夫。」
宇宙がここに止まる。




駆けよったイザは燃え盛るイザナに初めての島のダイアモンドをかけたり、そこらにあるものを使ってその炎を消そうとした。
「早くその子を離しなさい!」イザが怒鳴った。
炎は勢いを強くする。
「イザナ! 早く! その子を捨てろ!」
イザの目から涙が溢れる。
「大丈夫。新しい子。新しい神。私たち二人の子。イザ、私の愛する子よ。あなたの愛する子よ。私たち二人の新しい愛する、わが子よ。」
炎の中でイザナは確かにそう言い、よしよしとわが子を揺らす。
「ママー!」腕に抱かれたわが子は悪夢にうなされているかのように叫んだ。
「よしよし、いい子。」
「ママー! ママー!」
「大丈夫。大丈夫・・・」
冷たい空気が流れる。白いカーテンが揺れる。みんなの笑い声が聴こえる。炎の中の桃色信長が見える。えぐった目玉。切られた耳。ちぎりとられた睾丸。炎の中に浮かぶ桃。エーゲ海の水面。アクバル王の力強い眉間。ガリレオが語る星空。チャプリ雲の口の中の闇。雲の上でケンカしたこと。イザナの出っ歯。桃色信長が二人への手紙に筆を滑らせる音。エンパイヤーステートビルディングの先に停まった鳩のくちばし。ダイアモンドの島を眺めた二人の時間。二人が初めて国を生み、西のその子が一つの身体に4つの顔を笑顔にしたとき。世界がはじまり、二人が世界を作りつづける。いやだ。いやだ。いや。いや。いやだ!
いや、だ・・・
「頼む。イザナ! その子を離してくれ!」イザは叫んだ。
紅く燃える炎に向かってイザは叫んだ。
「頼む! 頼む!」
涙が溢れる。呼吸が止まる。血を吐きそうになる。
「頼む! その子を・・・」
イザが膝をつき、イザナを見上げる。
「君がいなくなったら・・・、君がいなくなったら・・・、僕は、・・・君は、君は僕の愛だ、愛なんだよ!」
「ママ・・・ママ・・・」
イザナに抱かれたわが子が眠りに落ちるようにしずかに呟いた。
「大丈夫。大丈夫・・・」
腕に抱いたわが子からイザに目を向けると、
イザナは炎の中でほほえんだ。
「大丈夫。大丈夫。」
涙が溢れて何も見えない。
イザは涙と鼻水を拭くことさえ忘れた。
イザの涙が島のダイアモンドを濡らす。
島の瞳にも涙が溢れる。
周りには誰もいない。
炎だけが紅く燃えている。
時が止まった。
「大丈夫。大丈夫。」
イザナが燃える。
煙が上がる。
イザの溢れる涙の向こうで、炎に燃えるイザナがにこっと笑った。
イザナの歯がきらりと白く光った。
「大丈夫。」

私はあなたを愛しています
いつまでも、永遠に




炎は燃え続け、肉と骨を燃やす異臭が漂い、黒々とした煙が天に昇る。
そばに走ってきたわが子の水の神も茫然となすべきことなく立ちすくんだ。
腕に大事に抱かれた新しい神はすやすやと眠り、イザナの身体は焼け、溶け、ただれ、血を噴き、骨が見え、頭髪がちりちりと燃えて昇り、塵となり崩れた。
イザナが、死んだ。
そのときイザナの汚物が神となった。腕に抱くわが子をしずかにそっと地面に寝かしたのだろうか。ヒノコが己の炎の中で寝言のように「ママ。ママ。」と呟いた。
イザは号泣し、その涙が神になり、世界が揺れた。濁った地獄。
何か不吉なことが起きたのかとわが子たちが集まった。燃えながら眠るヒノコと黒々とした塵、その前に死神のように力なく肩を落とし泣き崩れる父。言葉なく状況を知った多くのわが子たちの慟哭がしずかにはじまり、それが叫び、嘆き、もがき、苦しみ、悲しみの悶絶する発狂となって世界に散らばった。響きわたった。嗚咽し、嘔吐し、涙の血を流し、歯を噛み、憎しみに似たどろどろとしたものが島を染める。ママ―。ママ―。それぞれに狂い、絶叫し、すべての生き物、生命が赤い血の涙を流した。私たちの母が、死ぬ。彼らの叫び声と彼らの流した涙がぐるぐると混ざり合い、この世界で見たことのない最上の汚れた色を作った。その中で生まれたばかりのヒノコはぐっすりと眠っている。小さく、美しく、天使のように、笑って。




山は悠々と緑を成し、河は隆々と雨風と共に無邪気な流れを作っている。
海は青く、この世界が育ち、満ち、喜びの雄叫びを隅々にまで響かせる。
イザナが、いない。
何兆ものピースで築き上げられた積み木がたったひとつ欠けるだけで容易に崩れる。大災害に似た、地震や大雨、津波、人智を越えた自然の「力」。生命の儚さ。法則。そのすべてをイザは恨んだ。呪った。憎んだ。心の中の無害な誰にも見えない宝石のような庭が、死んだ。遊具は完璧なまでに破壊され、地面に生えた、生き生きとした光を満たす雑草が枯れる。溶け、ただれる。誰もいない。誰も来ない。君がいない。あなたが、いない。
わたしが、いない。

鐘が鳴り、
そして、電話が鳴った。

「初めての島、イザ様。ご愁傷様です。心よりお悔やみ申し上げます。」
「・・・・・」
「千ノリQ様プロデュース、歌劇『ザ・お葬式 of IZANA』(会場:サナギ新宿)の公演日が正式に決定し、イザ様にご出席いただくようにとのご連絡です。アップルハート航空・プラチナセンヘイ機でお越しいただく手配が整っておりますのでご準備ください。ちなみにただ今、サナギ新宿ではイングランド王国、エリザベス1世の戴冠式が催されております。」
「・・・・・」
裸の幼いテレフォンオペレーターの少女が無表情に言った。半分に割れた桃の受話器の画面から。イザは焦点の合わないまなざしでその少女を眺めた。涙が落ちた。なぜか受話器の桃も泣いているようで湿っていた。風よ、救っておくれ。雲よ、助けておくれ。誰も僕を助けてくれないの? みんな、僕を殺しておくれ。殺しておくれ。殺せ。酷だ。惨い。英会話教室の経営者よ! 社長よ! 全責任を取って、すべてを代表して僕を殺しておくれよ。ネイティブスピーカーになりたいなんておかしな夢を持たせた罪でお前の手で俺を殺せ! イザは桃を握り潰したくなった。

センヘイは静かに島に着陸した。
これが炎の中で桃色信長を救ったものか。これで山を越え、海を越え、西のインド、イタリア、ギリシア、その後宇宙へと彼を乗せていくのか。それはそれでいいもんだ。炎の中で桃色信長が敦盛を舞う光景が見え、それに重なって燃えるイザナを思い出した。イザナは燃える炎の中で最後に言った。「大丈夫。大丈夫。」わが子を抱き、自信に満ち、恐れを知らず、ただただ愛の中で<大丈夫、大丈夫>と言った。ほほえみ、白い歯を見せて。
白い歯。
笑顔。
僕の愛する人。
イザナ。
どれだけ時が経っても、イザの中でイザナが火に焼けて燃える煙がぐるぐるととぐろを巻いて充満する。
地底の汚物が黒い重油と混じってどろどろと身体の中を重く移動する。息ができない。手足の自由をべったりと奪う。重い。重い。すべてが。喉の先までそのどろどろが昇り、イザの目の色にまでそれが上がってくる。任せるよ。後はお前の好きにしてくれ。イザはそう思った。お前は黙り、沈黙し、大地を揺らし、どうせ僕たちを救ってはくれない。駅前にどんどん教室を作ればいい。ダイエット食品も、自己啓発本も次々に出せばいい。すべてが塵になると知っているくせに。くだらない。くだらねえ。お前はどうせYESすら言えないくせに。
イザはイザナの塵が入った骨壷を持ってセンヘイに乗り、サナギ新宿に向かった。
歌劇『ザ・お葬式 of IZANA』の幕が上がる。

センヘイは一体どこをどう飛んでいるのかわからなかった。
見える空や雲は一緒だが、時間と場所を上下左右昇ったり降りたり、もぐったりぴーってなったり、眩しくなったと思ったら、いきなり真っ暗になるし、スカッと気分が晴れたかと思うと不安になるし、イザナと乗ったアップルハートタクシーを思い出した。イザナとどきどきした高揚した、あのふかふかの後部座席。カザルスのバッハの組曲。暗殺者のドライバー。イザナだったらこのセンヘイににこにこして搭乗しているに違いない。イザは骨壷をぎゅっと抱きしめ、目を閉じた。

サナギ新宿はゴーゴーと車が上にも横にも縦横無尽に行きかうその中心にあった。
人と色で溢れている。YMO(♪黄泉の国~・も一度きれいに・おいでやす~)がループで流れていて、桃源郷ってこういうところなのかとイザは思った。
人でごった返す中、イザが骨壷を固く持ち店内に足を踏み入れると、バーカウンターでカップ酒を粋な立ち姿で飲んでいる奇妙な格好をした2メートルを越える男か女か定かではない人物がこちらを向いて手を上げた。
「まいど! イザさんようお越し。この度はご愁傷様。辛いわな、辛い。ま、しゃーないな。しゃーない。ま、ま、駆けつけ一杯、これ呑んで。」
そう軽々しく話す男(性別不明)が、自分が飲んでいたのと同じものを注文し、イザに手渡した。ガラスのカップ酒にはその男と同じ格好の絵が描かれている。
<リーゼント頭に尖った牙。身体がサナギできらきら目>
「悲しいわな、そら悲しいわ。わかるわ、わかる。わしやったら無理やで、そら、無理や。あんたえらいわ。立派やで。瞼もそんなに腫れて、そらそうや。いっぱい泣いたんやろな。いっぱい泣くわな、そらそうや。わしも泣いたで。ま、とりあえず呑も。」
<殺してやりたい>
イザは悶々とした。
この店の店内の色もざわつく人もこの男もカップ酒もなにもかも。
「おい! こっちやこっち!」男が手を振って言った。
「あいつらも泣いとったで。あいつらも辛いんやろ。」
人を掻き分けて誰かがやってきた。
彼らはイザを見つけると、挨拶もせずイザに寄り、羽根を広げ、葉っぱを広げ、何も言わず、ぎゅっとイザを抱きしめた。
力強くぎゅっと、イザを抱きしめた。
そして、泣いた。
カップ酒を手に持つ男も鼻を啜り、頬に伝った涙をぬぐう。
「ポッポー。」彼は言った。
「    。」もう一人の彼は言った。
鳩と桃。
平和と愛。
愛と平和。
鳩と桃がイザを抱きしめる。
その3人をカップ酒の男が抱きしめる。
<♪黄泉の国~・も一度きれいに・おいでやす~>ループして流れるテクノミュージック。
店内には人の喧騒と笑い声、小刻みに揺れる人々のリズム。
イザは自分が一人じゃないんだと実感した。
方位磁石を持ったピエロが正しい方角を指し示してくれているのかもしれない。

赤、黄色、緑、さまざまな色彩の提灯が天上からぶら下がり、極めてショッキングなピンクの壁が遠くに見え、その壁に涅槃のカップ酒の男が描かれている。カップ酒の男が言った。「あ、あれな、俵YASO達が描いてくれたんや。」サナギ新宿の店内は『この国』を象徴しているかに見えた。
歌劇『ザ・お葬式 of IZANA』が荘厳と開演し、役者が店内を走りまわったり踊ったり、ダンスをしたりオペラを歌い、イザナの在りし日の姿を演じ、舞い、抽象的な、それでいて具象的な、奇天烈かつ壮大なシーンが繰り広げられる。イザはぼーっと魂ここにあらずの状態で店の真ん中でその流れる場面を目に映した。鳩と桃に挟まれて座って。彼らに手をずっと握られて。僕はひとりじゃない。イザナ、僕はひとりじゃないのかも、しれない。
一人の役者が台詞でこう言った。
「サナD~、君に何かできることがあるのかね~。」
観客として一緒に見ていたさきほどのカップ酒を呑んでいた男がすっと立ち上がり、
「われはできる~、われはおこなう~、彼の涙を乾かそう~、それが友の証~。」
サナDと呼ばれたさきほどの男がオペラ歌手のようになめらかに歌った。
そこから音楽が急にアップテンポになり、
観客みんなが立ちあがって声をそろえて歌い踊りはじめた。
♪黄泉の国~・も一度きれいに・おいでやす~
♪黄泉の国~・も一度きれいに・おいでやす~
♪黄泉の国~・も一度きれいに・おいでやす~
そのフレーズの合間にみんなが合いの手を入れる。
<ゆけ! ヨミの国! HEY!>
<ゆけ! ZGOK城! HEY!>
<ゆけゆけ死者が! 集まるZGOK城! Z!>
イザが桃の葉をとり、鳩の羽根をとり、くるくる回って踊りだす。
人生は不思議だ。
誰かと出会い、誰かと別れ、愛し、憎み、そしてそれを忘れる。
『思い出』を売り買いする商店の女主人は言うのだろうか? 「それが失うことの強さだよ。だから私らの商売は過去も未来も繁盛する。そしてこの瞬間も。あなたと私がいる限り。」と。

歌劇が大盛り上がりで幕を下ろし、イザはサナDと鳩、桃に見送られ店を出た。
「次は恵比寿でなー!」
そこに一本の桜の木が立っていた。
その下にヒノコがいた。
 




桜が燃えているのかと思った。
桜の木の下でヒノコが自分の火が桜に燃え移らないように小さくもぞもぞ立っていた。
こちらを見て、うつむく。
イザは胸を張り、一度目を閉じ頷いてヒノコに歩いた。風が吹く。ヒノコが地面に落した視線を頼りなく動かし、イザを見上げた。
「とうさん・・・」
愛する子。わが子。抱きしめられない子。ヒノコ。
「どうした?」イザがやさしくしっかりとした口調で言った。
「・・・僕を、殺して。」
ヒノコが言った。

イザの身体に雷が落ちたようだった。
耳を疑った。
膝を折り、ヒノコの目線になってイザは言った。
「どうしたんだ? ん? なんてことを・・・」
「約束だから。とうさんもわかってる。みんなわかってる。」
「・・・そうだな。そうだ・・・」
「うん。行こ。」
「・・・やはりそうしかないのか。・・・そうなのか? 苦しいな。悲しすぎる・・・」
イザはぐっと奥歯を噛み、目の前にいるわが子の視線に負けてうつむいた。
悲しすぎる。
悲しい。
触れることも許されない。抱いてやることもできない。なにバカなことを言っているんだと叱ることもできない。なにもしてあげられない。父として。頭を撫でてやることも。肩車も。なにもできない。イザの口の中に錆びた血の味がひろがった。

二人は共にセンヘイに乗り、雲を越えた。
比婆NO山に着いた。このイザナの塵を埋葬するため。
 
土を浅く掘り、骨壷を置き、土をかける。その作業をイザはひとりでこなし、ヒノコはそばで何も言わずしくしく泣きながら立っている。
こんもり小さく盛られた土に向かって二人はそっと手を合せた。
ヒノコが言った。
「ママ、もっともっと会いたかった・・・。もっともっと会いたかったよ。」
身体をくの字に曲げて奥歯をがたがた震わせて言った。
「ママ、ごめんね。ママ、ごめんなさい。」
イザはヒノコのその言葉がまるで僧侶が唱えるお経のように聴こえ、悲しみで身体全身が痛いほどにぶるぶると震えた。
痛い。
痛い。
冷たい沈黙の風がびゅんと吹いたころ、ヒノコがしっかりとした声でイザに向かって言った。
「とうさん、もう待てない。もう、逃げられない。」
「・・・ああ、そうだ、な。」
「・・・うん、そうだよ。時間が来た。来ちゃった。・・・悲しいね。」
ヒノコが言う。
「ああ、悲しい。悲しすぎる。ヒノコ、とうさん、ものすごく悲しい。悲しいんだ。」
イザが己の手の平を見て言う。
「とうさん、僕、とうさんに何もしてあげられなかった。・・・本当に、ごめんなさい。」
「いいや、お前が生まれ、生まれてきてくれただけで私は本当にうれしい。」
イザがヒノコの目を見て言った。
「ごめんよ。お前は私の宝だ。ごめんよ。お前の手も握ってやれない。お前の頬をつねったり、やさしくキスもしてあげられない。お前の母さんはお前を、お前をずっと抱きしめたというのに。抱きしめて、眠るお前に大丈夫、大丈夫と言ったのに。私は、お前に、大丈夫、大丈夫と言ってやれなかった。お前を愛しているのに、大丈夫、大丈夫と言ってやれなかった。手をつないで散歩をしたり、ぐずるお前を抱いてあやしたり、この、この腕でお前が何も怖くないように、静かに安心できるように、この世のすべてからお前を守るように、この腕で抱きしめてやれなかった。ごめんよ、ヒノコ。愛するわが子。」
「・・・ううん。」
「私が、私が、お前を愛することと同じくらい、いや、それ以上、お前を憎めればよかったのに。」
イザは地面に膝を落とし、両手に顔を埋めて号泣した。
ヒノコはイザの肩に手をそっとおき、
「・・・大丈夫。大丈夫。」と言った。
イザの肩がひっそりとちりちり燃えた。

「時間だよ。」そう言ったヒノコはイザを向いたまま後ろにさがり、両手を大きく広げ、胸を反るようにして天を見上げ、ボタンを押した。
ヒノコの身を包む炎がぐあんっとより一層強く燃え、ヒノコの身体がそのますます燃え盛る炎の勢いにつられて大きくなっていく。
ヒノコの目と身体がさきほどとは一転して獣のような輪郭を持たない姿になった。目は尖り、口は裂け、指は伸び、足が二倍三倍となり、けらけらとおぞましい音と共に、己の内の悲しみが怒りとなって充満し、巨大な燃える獣になる。獣は自我を忘れ、そのすべての、多くの、運命に対しての、さまざまな熱く煮えたぎった怒りをパワーにますます大きくなり、天へと伸びていく。少年のヒノコが心を捨て、炎の鬼になっていく。悲しい。悲しい。なんで僕が。なんで僕が。そのはち切れんばかりの怒りが鬼を大きくする。僕は怒っている。僕は怒っているんだ。炎よ、燃えろ。燃えてすべてを焼き尽くしてしまえ。とうさんも、ママも。喜びも、悲しみも、希望も、夢も。星も。光も。この炎で潰してしまえ。僕は悲しいんだ。僕は泣いているんだ。僕は、僕は、生まれてこなくてもよかったんだ。
-ママ、僕は悲しいんだよ-
ヒノコは燃える己の中でつぶやいた。
<大丈夫。大丈夫。>
ヒノコの中でイザナはつぶやいた。眠る赤子に唱えるように。子守唄のように。
その巨大な火の獣がイザの首を絞め殺したいと二本の手を前に出し向かってくる、覆いかぶさってくる。
悲しい。
悲しい、んだ。
声にならない雄叫びを上げ、炎の鬼がイザにせまる。
殺すぞ。殺すぞ。殺してやる。憎い、すべてが。悲しい、すべてが。この定めが。殺してやる、さもなけば、殺して、く、れ。
獣と化した炎の鬼がイザに襲いかかる。熱く燃え盛り、煮えたぎる苦痛が油となって火を加勢し燃えたぎらせ、ますます巨大な怒りとなって燃え上がる。
-コロス-
炎の獣がイザに咆哮した。
-私は、悲しい-
-私は・・・、憎い-
お前が。
憎しみが愛を超える。
黒い、穴。
イザはすっと立ち上がり、飛び、手に持った剣を左右に数度振り、空気を切る。
イザの全身がちりちり焼けたかと思うと、ヒノコの頭が飛び、手足、胸、腹、それらが音もなく切られ、散る。ゆっくりと。
それがまた新たな神になり、仰向けに獣が倒れていく。スローモーションの空気の流れ。周りの風がゆがみ、その切り離された巨体が崩れていく。後ろに倒れていくその大きなものの中で裂けた口が、笑ったのが見えた。
-とうさん、ありがとう。僕は、-
-大丈夫-
飛んで地面に下りたイザは、ヒノコの血がぐっちょりと付いた熱い剣をそっと地面に戻し、膝をつき、両手を大きく開き、天に向かって、吠えた。
吠えて、吠えて、ぐじゃぐじゃに、泣いた。
イザがわが子をこの手で殺した瞬間だった。
血が、赤い。
どうして・・・


ⅩⅠ

忘れない。忘れられない。イザナが。恋しい。
誰よりも。誰よりも。
イザの脳裏にふとよぎった。
死者がさまよう「場所」があることを。
そこはたしかこう呼ばれていた。『ZGOK城』。
そこに行けば死んだイザナがいるはずだ。
イザはこの手で殺したヒノコの温もりを握りしめ自分の足で歩き始めた。

鬱蒼と深い緑の木が生い茂る坂の手前、黒い霧がさーさーと横に舞い、なんとも言えない湿気がイザの身体に巻きついた。木々はすべて垂れ下がり、枝も葉っぱも生気なく、がさがさとくくくと不吉な笑みをもらし揺れる。ばたばたと空を飛ぶ生き物がイザを監視し、四方八方狂った目の光が暗闇の中からこちらを睨みつけている。ごごごと土煙が舞い、冷気を伴った重い風が股をくぐる。鈍い汗が舐めあげられるように肌を吸い、震えが足先から身体を上がってくる。手先は凍え、耳鳴りがする。

<ZGOK城>と記された鳥居の柱の下で黒い影が動いた。
イザはびくっとし、足を止め凝視した。
暗い中でそれが渇いた音を立ててマッチを擦り、火を灯した。
薄っすら暗いその中で、それの顔が見える。
ふわふわの毛をした、
二つの顔を持つ、ウサギだった。

立ち止っているイザを見上げると二つの顔を持つウサギが言った。
「イザ様、もうそろそろお着きだと思っていましたよ。」
小さいメモを見ながら、こちょこちょと言う。
狩りで仕留めたツキノワグマの皮をナイフ一本で剥き、腹を長く縦に切って内臓をえぐり、そこにある胃に刃を入れて中を覗くと、そこにたっぷりと油を点されて滑らかに動いて回るさまざまな形の、完璧に塗装された遊具がある運動場が佇んでいる気がした。ブランコが揺れている。
「イザ様、早く参りましょう。違う方向に行ってしまいます。イザナ様がZGOK城のZ類になってしまいます!」
ヒヒヒと不吉に笑いながらメモを懐に荒っぽく入れ、懐中時計を手にしたウサギが足をばたつかせて言った。
「ちなみに・・・君は?」イザは咄嗟のことで挨拶すら忘れた。
「わたし? わたくし、いや、時間がない。そんなことは後で後で。まずは坂を下って参りましょう。ご説明はその道中で。まずは先へ先へ。お気をつけてください。この門をくぐるとその先はあの世への入り口ですから。草木が天へ芽を吹き伸びる、なんて道理は通用しません。花は腐り死すことが美、石ころですら重鎮です。唯一、光が闇に与えた場所と言いますか、闇が光を屠った戦勝地と言いますか、とにかく、あ、あいつの名前を言っちまった。ま、いいですいいです。先へ下って参りましょう。用心してくださいよ。自分の足でしっかりと歩いてください。」
早口で言って先を行き、振り向いて手で招く。
「イザ様、早く早く。」
イザは恐ろしいながらも胸を張り、イザナの顔を思い浮かべ、一度自分に頷いてから足を出し、門をくぐった。
大きな生き物の口の中へ入っていくようなおどろおどろしい臭いがした。

小さな蝋燭を手に二つの顔のウサギが先を行き、ちょくちょくイザを振り返る。
イザがちゃんとついて来ているか確認しているようで、獲物が逃げていないか確認しているようで、4つの目が器用にあっちこっちを向いている。
 
周りは闇が溶けて先が見えず、誰かが、何万匹のなにかが異臭を放つどろっとした目脂を貼りつけた目玉でこちらを見据えている。腐った糸を引くどろりとした粘り。ウサギは軽快に小さな蝋燭の火を抱えぴょんぴょんと歩いて行き、坂の先は真っ暗な闇だ。

門をくぐって随分坂を下ったころ、ウサギが並んで話した。
懐をごそごそ探り、
「イザ様、忘れておりました。城に着くまでにこれを食べておいてください。食べずに城に着いてしまうとそれ大変。今は坂の途中。この世とあの世の境目です。食べずに城に入ってしまうとこれ大変、すべてが真逆になってしまいます。闇の中では光が闇です。闇が光です。ま、なにはともあれ食べてください。」
速足でそう言うと、胸から何種類かのかわいいキノコ(Happy and Mushroom= H&M ※別名EMDM)を取りだした。
 
「さ、どうぞどうぞ。」
その中のひとつを差し出しウサギが言うと、まじまじとそれを見たイザは思った。
<美味しそうだけど、毒キノコじゃ?>
ウサギの4つの目のうちの二つが潤んだ目でイザを見上げている。
-毒を食らわば皿まで-
桃色信長が比叡山を見上げながら吐くように念じた言葉がイザに届く。
「OK.」
イザはそれに一度鼻を当て匂いを嗅ぎ、軽く舐めてから口に含んで飲み込んだ。
冷たく固まったライオンが石の台座に無言で鎮座する味がした。

「ヒノコ様はさぞお辛かったでしょうね。生まれたときにお母様を亡くし、いくら物語、決められたことだと知っていてもそれは辛い。生まれて死ぬ。それは道理です。たしかにそうなんですが、お辛いですよね。それはイザ様も。道理っていうもんは罪ですね。1足す1が4でも5でも-9でもなんら世界は変わらないのに。変わるのかなあ。花の種がラクダに産まれたいって願って叶っても誰も損することないと思うんですよねえ。いやはやあっちの世界はわからないし、こっちの世界も理解できません。文字は文字で一文字一文字くっ付いて言葉ができて、言葉と言葉がくっついて物語になるんでしょ? そんなもの危なっかしいじゃないですか。誰が得をするんでしょうねえ。言葉なんか誰でも変えられるのに。何兆本も存在する指のたった一本の誰かの指がひょいとボタンを押すと世界が死ぬ。危なっかしいったらありゃしない。私の懐中時計なんか、いつもくるくる回ってますよ。反対に回ったり、じっと止まって動かなくなったり。でも、まあ、常に<そこ>から動くんですけどね。飛んだりはしません。だけど針がなくなっちゃったらこの世は消えちゃうんですかね? 時計が動くから時間が動くんですかねえ。わからないことが多すぎますよ、ほんと。この坂を上がったり下がったりしてますとね、道理が道理じゃなくなるんです。時間が時間じゃなくなるんです。生きるも死ぬもなくなりますしね、喜びも悲しみも半ぶんこなんです。シーソーみたいなもんですかね。世界中どこに行っても葉っぱは緑。空は青。水は透明。みんなそれに満足できないんですかねえ。どこもかしこも争ってばかり。葉っぱの緑は変えれないし、空の色も水の色もどれだけ力があっても変えれないのに。とにかく、あ、また言っちゃった。嫁の名前が<とにかく>って名前でしてね。とにかく、イザナ様にはもう時間がない。イザ様からすると時間がないのですが、イザナ様からすると時間がある。まったく、どうご説明していいのかわからないのですが、道理が道理じゃないんですよねえ。ですが、その地の道理に従う他ありません。それが定めってやつなんですかね。運命。あ、イザ様、光ってきましたね、目が。見えるようになってきましたか?」
ウサギが長々と話している間、イザは周りの景色が違って見えるのに気付いていた。
あのキノコを食べるまでは周りは重たい漆黒の闇で、おぞましい目に見えない敵が牙をむいてこちらをいつ食べてやろうかという殺気に満ちていたが、坂を下りるに従って、キノコの力なのか、周りが色付きはじめ、殺気を持った牙が柔らかい光を反射するかわいい花々に変化した。下っていく坂道が昇っていく坂道に代わり、大きな黒い口の中へ下っていくごつごつとした先が、丘の上へとつながる、光を帯びたきれいな道に変わっていた。その先に城が見える。
心地よい風が汗をさらう。そばにいたウサギの顔がひとつになって長身の燕尾服を着た紳士になっていた。そして、黄金の涙を流している。
「ようこそ、ヨミの国へ。イザナ様がお待ちです。もう間もなく、王冠授与の儀式が始まります。申し上げるのが遅くなりました。私は次期女王様の召使、<黄金涙兎オクト>と申します。イザ様をこちら側へと迎えるお役目を次期女王様からいただき参上致しました。さあ、ラッパの音が聴こえはじめましたよ。」
遠くの丘に美しい城が見え、色とりどりの旗がなびいている。ラッパの音が青い空に響き、たくさんの透き通った光が白い城壁に吸い込まれるように輝いている。
『ZGOK城』それはイザが目にしたことのない美しさの塊だった。


ⅩⅡ

坂道を上がる。
意気揚々と。
暗い下り坂を下っているときは小さく小汚い二つの顔を持つウサギが今は長身のひとつの顔で黄金の涙を流す紳士の兎になり、隣を歩く。
この国も私とイザナが生んだ国なのだろうか? ここの神の中にも私たち二人が生んだ神がいるのだろうか? ここからでも252588,2588で赤い樹1号室コールセンターに連絡が取れるのだろうか? そうイザは柔らかく考え幸福を伝えるラッパの音に耳を傾けながら坂を上がった。

美しく整えられ、隙のない頑丈さで固く閉じられた城の扉の前に立つと、
「ここでイザナ様をお呼びください。私のお役目はここまでです。」兎がそう言い、深く一礼をして城とは反対に坂を下りていった。
「ここで、イザナを呼ぶ。」イザは囁いた。
愛するイザナ。
ヒノコを殺した私を許してくれ。
憎しみが愛を越えた私を許してくれ。
腰に帯びた剣がぴかっと光り、双子の顔が付いた指輪が指にはまっている。わが子を切り刻んだ自分の手を強く握り、その固い扉を叩きながら、イザは声を上げた。
「イザナ! イザナ!」と。
ラッパが鳴り、
白い鳥が空を飛ぶ。
「イザナ! イザナ! 愛だ! 愛だよ!」
扉が強く揺れ、
鐘が、鳴った。


ⅩⅢ

「イザナ! イザナ!」何度呼んだだろうか。
高くそびえる扉は軋み、叩く手が血ににじむ。喉がちりちりと渇き、自分の手が足が重い鉛のように思える。イザナ、イザナ、愛する人。僕はあなたに会いに来た。ヒノコを殺し、わが子を殺してまでも君に、君に会いに来た。どうかお願いだ。答えておくれ。誰かが言った。門を叩きなさい。そうすれば開かれる、と。イザナ。この扉を開けておくれ。君が見たい。君に会いたい。あなたにもう一度、会いたい。
「イザナー!」
空気が止まった。
なにかが動く。
イザが扉を叩こうとしたとき、ズズっと扉が動いた。
光が刺す。空気が漏れる。鍵が開く。
少し開いた隙間から、声が漏れた。
「主人がお連れできたのですね。H&M。うふふ、よくできた夫。」
角の生えた兎が胸のチャックを開けて意味あり気に言った。
「イザ様。もうしばらくお待ちくださいませ。次期女王は今、戴冠式の最中ですので。」
その言葉を残して<バタン!>と重い音を響かせ扉が閉まった。
イザナ、
愛する人
 


ⅩⅣ

イザナ! イザナ! 激しく扉を叩き、イザは声を震い上げる。叩く手から血が流れ、頭を扉に打ち付け叫ぶ。イザナ! イザナ! 愛なんだよ! 額からも赤い血が流れ、目に入る。イザは赤い目をしながら狂い叫び続ける。わたしたちの国作りはまだ途中だ! さあ! 一緒に帰ろう! 一緒に帰ってくれ! 君がいないと、僕は・・・
ラッパが鳴り止んだ。

扉の向こうで気配がした。イザは息をのんだ。目に入った血が頬を伝った。
「イ、    ザ、ナ・・・」
「イザ・・・」
「イ、    ザナ! イザナ! この扉を開けてくれ! 君に会いたい!」
「イザ・・・、ありがとう、私を見つけてくれて・・・」
「早くこの扉を開けてくれ! その顔を私に見せてくれ!」
「・・・ヒノコは?・・・」
「・・・ヒノコは、わ、わたしが、殺した。」
「どうして・・・どうして! どうしてなの!」
「君を愛している。ヒノコを愛していた。だが、君を失った憎しみに僕は勝てなかった・・・」
「ど、どうして・・・。あなたとわたしの二人の愛しいわが子を・・・」
「ヒノコは城の中にいるのかい?」
「・・・いいえ、あの子はまた別の神になったから・・・」
「そうか、ヒノコはあっちにいるんだな。そうか・・・」
「あの子に会いたい。私、またヒノコをこの手で抱いてやりたい・・・」
「そうだな。君しかあの子を抱いてやれなかったものな・・・」
「あの子が恋しい。イザ、私、あの子が恋しいの。」
「そうだな。一緒に帰ろう。私たちの国へ。そしてまた国を作ろう、イザナ。」
「・・・もう少し早かったら。もう少し早かったら。・・・イザ、私、もう帰れない。」
「なぜだ! 一緒に帰ろう! ヒノコもあっちにいるんだろ! だったらまた一緒に帰ってわが子たちと暮らそう! そして新しい国をまた二人で作ろう!」
「だめ。だめなの。さっき、私の頭に王冠が乗った。Z類。ラッパが止んでしまった。」
「ど、どういうことなんだ?」
「私、女王になってしまった。」
「なんだ女王って! そんな冠捨ててしまえ! 顔を見せてくれ、イザナ!」
「ダメ。この王冠を捨てるとあなたたちの国、わたしとあなたが生んだ国が滅びるわ。」
「どういうことだ! なんだそれ! どうでもいいじゃないか! 早く帰ろう! わが子たちが待つ、私たちの国へ!」
「約束なの。法則なの。定めなの。逃げられない。逃げれば、私の兵隊が進む。あなたたちが皆喰われてしまう・・・」
「そんなのどうだっていい! そんなのどうだっていいんだ! イザナ、帰ろう! みんなが待つ、私たちの国へ。」
「・・・私ひとりでは決められない。みんな、愛するイザ、あなたも消えてしまうかもしれないのよ。私たち二人が生んだわが子たちも・・・。闇が狂って押し寄せる。」
「それでもいい! 帰ろう! 帰るんだ!」
「無理よ。・・・で、でも、帰りたい。・・・わかった。こちら側の国の王たちに聞いてみます。女王の座を捨ててもいいのかどうか、この冠を外してもいいのかどうか。待っていて。待っていてください。愛するイザ。」
「わかった。待っているよ、ずっと。帰ろう。わが家へ。」
「感じる? この手。」
「感じるよ、イザナ。君の手だ。この扉の向こうに君がいる。」
「この扉の向こうにあなたが、いるのね。」
「そうだよ、イザナ。一緒に帰ろう。」
「一緒に帰りたい。イザ、一緒に帰りたい・・・」
「待ってるよ。わが子たちが君の作る夕飯を待っている。帰ってあげよう。帰ろう。」
「待っていて。私が戻ってくるまで・・・。待っていて、約束よ。・・・いつまでも。」
「ああ、待ってるよ。」
「イザ、さようなら。」
厚い扉の向こうの温もりが消えた。


ⅩⅤ

イザは待った。
厚い扉の前で永遠待った。
夜か? 目が霞んだ。見える風景がやや歪む。いや、そうではない。何かがすこしずつ変化をしているだけ。
おかしい・・・そう思いながらイザは目をこする。いくら待ってもイザナは来ない。どれだけ待っただろうか。重くてだるい身体をなんとか起こし、イザが扉を激しく叩きイザナの名を叫び呼ぼうとしたとき、重いはずの扉が内側にすーっと弱々しく開いた。見えなかった世界が顔を見せる。イザナと会える。飲み込まれるように。獲物を誘い込むように。キキキと招き入れられる、餌。
イザは扉を軽く押し、中を覗く。
足を踏み入れ、冷たい空気が城の奥から吹いてくる。
床にはぴかぴかの白の大理石が無尽蔵に敷き詰められ、規則正しく柱が天高く立っている。壁のステンドガラスが清潔な回楼をきらめく色を通してやさしく照らし、どこまで続いているのか端が見えないほど城の中はあちら側へ永遠と続いていた。
<鏡の城みたいだ・・・>イザは床や壁に映る自分の姿を目にしながら奥へと歩いた。
ときおり目が霞んだり、目の中の光が消え、見える世界がすべて汚物のような漆黒になりつつも、城の完成された清潔さに目を奪われながら、足を運ぶ。
イザナー!
イザナー!
イザナの名前を呼びながらイザは統率の取れた品のある柱を何本も通り過ぎた。
イザナー!
イザの声が反響し、遠くに当たりまた戻ってくる。
イザは奥へ奥へと歩いた。

頭がぐらっとした。
視界が軋む。目に見える世界がチャンネルを替えたようにざざっと違うものに見え、その頻度が増えてきた。イザは見える景色のどちら側に自分がいるのかわらないまま奥へと進んだ。<イザナ、早く一緒に帰ろう>
円形の天井を持った空間に出ると、そこには夥しい人の列が見えた。人。人人。美しい整列。縦、横、斜めときれいにそろった隊列。その人垣の向こう、目線を上げた先に、いた。
まっすぐ正面を見、大きな椅子に座る、イザナが。
「イザナ!」
イザは叫んだ。
「何をしているんだ! そんなとこにいないで早く一緒に帰るんだ!」
イザの声だけがその空間に大きく響き、誰もうんともすんとも言わない。空気だけが重く漂っていて、隊列は崩れるどころか、より固く引き締まった感じがした。
呼吸音も聞こえず、イザの声だけが反響してこちらに戻ってくる。イザナは目線を変えず、ずっとその場で一点を見つめている。
「イザナー!」
イザが声を上げると、イザナがゆっくりと死んだ目でイザを見降ろし、
「ヤ・ク・ソ・ク」とうつろに口を動かした。
煌びやかな城内にその言葉はしんと響き、王座に座ったイザナが手を上げ、指を差す。その指先がゆっくりとイザに向き、美しい整列を守った隊列が後方のイザをみな同じ動作で向き見据え、その瞬間、え? イザがそう思うと、さきほど何度か起こった眩暈がまた蘇り、目の中の光が消えた。え? それまで鏡のように美しかった城のすべてが、一転して汚れたおぞましい世界に変わった。身体が浮き、上下が反転し、こちらに指を差すイザナがどろどろ溶けた醜い顔で死臭を吐きながら「コ・ロ・セ」と言った。
イザはどすんと地面(天井)に落ち、部屋の電気が落ちたような何も見えない黒い世界で急いで双子の顔が付いた指輪に息を吹きかけ、それが祝福の光を放つことを確認すると、今まで自分がいた城が光のないごつごつとした洞窟で、あたりはすえた臭いで充満し、完璧な隊列を守っていた亡霊たちが上部からこちらに飛んで向かってくるのが見えた。<喰われる>咄嗟にそう思ったイザはぬかるんだ地面を四つん這いになって駆け、来た道を走った。嘔吐した。なぜか涙がこみ上げる。

雲の上でのケンカ。アップルタクシーに乗車したとき。ヒト蛇がいた。鍵を開け、はじめて国を一緒に生んだ。チャプリ雲が現われ、僕たちは救われた。自分の頭と手と足があることをはじめて知った。次々に国を生み、桃色信長からの手紙が届き、僕たちは一緒に神を生んだ。たくさんのわが子に囲まれ、ヒノコが生まれ、君は死に、お葬式をサナギ新宿で済ませ、僕はこの手でヒノコを殺した。なんだったんだろう。生きるって悲しい、辛い、苦しい。楽しいこともあるけども、やっぱり悲しいんだ。そうだろ、イザナ。僕は君に会いに来た。君が恋しいから。君を愛しているから。そして僕は今、君に殺される。生きるって何なんだい? ヒノコは生まれる前から君を殺し、僕に殺されることを知っていた。物語って何なんだい? チャプリ雲が言うように、舞台には役者が必要だ。だけど、役者も役者で心がある。こう演じなさいって言われて、そのまま演じることが大切なのだろうか。イザナ、僕は、もう、何も、わからない。

イザは逃げた。<生きる>本能のまま。

「コロセ」後ろからイザナの声が聴こえる。「コロセ」「コロセ」「コロセ!」
夥しい数の亡霊が襲ってくる。「オマエ、ヤクソク、ヤブタ。オマエ、ヒノコ、コロシタ。コロス。コロセ。」亡霊がそう呻き追ってくる。イザは髪を抜き、念じて投げた。その髪が網目状のネットになって伸び、洞窟をふさぐ。イザは足を速め懸命に駆ける。擦りむいた手と足からは血が流れ、身体のいたる箇所が血にまみれる。もっと早く、もっと早くと自分の足に言い聞かせ、イザは走る。髪の毛の網に行く手を遮られた亡霊たちが言葉にならない悲鳴を上げたかと思うと、その髪の網をどろどろした舌で舐め、飲み込み、穴を開け、そこからまた宙を飛んでやってくる。イザは指輪が放つ光を頼りに先へ急ぐ。亡霊たちの手がイザをつかまえようとしたとき、イザは左手の薬指を噛んだ。指の根元を噛み、噛みちぎり、念を込めて亡霊たちに噛み切った己の指を投げつけた。地に落ちた薬指は地面ににょきにょきと生え、数本、数十本、数百本と生えて伸び、亡霊たちを遮った。イザの左手は血で真っ赤に染まり、痛みとともに『思い出』を売り買いする商店の女主人の言葉をまた思い出した。<失うことの強さ、獲得することの犠牲>何かを得、何かを捨てる。何かを捨てれば、何かを得られるのだろうか。イザの心臓が激しい鼓動で鳴る。巨大な指の柵の前でふらりふらりと飛ぶ亡霊たちがその指を食いはじめた。がじゃがじゃぐちゃぎょじゅ。奇怪でおぞましい音が逃げるイザの後ろから響いてくる。「ウマイ。ウマイ。オマエ、クイタイ。」亡霊たちがそう奏でる。「オマエ、クウ。ワシラ、ヒカリ、クウ。クイタイ。ハラ、ヘッタ。オマエ、クウ。」1500もの亡霊と鬼が洞窟の奥から宙を飛び地を駆けてくる。亡霊たちの尖った手がイザの頭にかかりそうになったとき、カミナリが逃げるイザの足元をかすめた。洞窟内に8つのイカズチが落ち、カミナリがイザを襲い、鳴り、地面が裂け、岩肌は崩れ、腰に帯びた剣がじりっと動いた。ヒノコを斬った剣。
-とうさん、大丈夫-
その剣を抜き、暗闇の中でイザは後方に剣を振りながら前へ走った。その力に鬼や亡霊たちは一瞬動きを止め、「ケン、ホシイ。ヒノコ、ホシイ。オマエ、ホシイ。ヒカリ、ホシイ。」と言った。
暗闇が薄っすらと開けた。イザは手を伸ばして走り、穴の入口に手をかけたとき、8つのカミナリが逃げるイザに標準を合せ、イザの背中にイカズチの弓を引いた。鬼が笑った。
-喰われる-
イザが目を強く閉じ、万事休す=dOVE AND PEACH、頭で思ったそのとき、
桃色の何かが坂道の上から激流の河のように流れてきて、自分の身体を包み、カミナリや亡霊、鬼たちを溺れさせた。死に似た悲鳴がイザの後方で起き、洞窟の奥へ奥へと流れていく。イザは甘い香りに包まれ、心がピンク色になったのを感じた。目を開けるとその桃色のひとつが倒れるイザの前にちょこんといた。
-ありがとう-
イザは心の中で唱えた。
目の前に一本の木が生えている。
洞窟の入り口に立ち、<この坂道はあの二つの顔のウサギと下りてきた道か>と思っていると、奥から今度は聞き覚えのある声が、いや、その声が煮て焼かれて腐ってどろどろに溶けた音になって響いてきた。
「コロス。クウ。オマエ。イザ。」
イザは青くなって震え、坂をのぼった。後ろから黒い、大きい、何かの気配がやってくる。坂を走りながら、<このあたりでH&Mを食べて、急に景色が明るくなって、下り坂だったはずが上り坂に変わったんだ>と思った。後ろから追ってくる巨大な闇がイザに問いかけた。
「イザ。愛するイザ。」
イザナ? イザナの声だ。イザは走りながら後ろを振り返った。その向こうに、皮膚が爛れ、目玉がずれ落ち、髪が抜けたイザナがいた。さきほどまでの亡霊やカミナリ、鬼たち全てを屠った巨大な闇、イザナがいた。宙を浮き、こちらに迫ってくる。
「こちらへおいで。ヒト蛇が吐く黒よ。チャプリ雲の口の中よ。こちらにおいでよ、愛するイザ。心地いいわよ。すべてを喰うの。悲しみも苦しみも喰ってしまうの。あっちの世界じゃ感じることのない喜びよ。こちらで国を生みましょう。こちらで神を生みましょう。こちらでは誰の指図も受けることはないわ。私は女王。ヒノコだって思う存分抱いてやれる。あなたもヒノコを殺さずにすむ。イザ、はやくおいで。みんなで死ぬの。みんなこちらで生きるの。ZGOK城でみんな仲良く暮らしましょう。こちらであちらを食べる準備を一緒にしましょう。光をお皿に並べて、ナイフで切ってフォークで差して、光をこの口に入れて、歯で切り刻んで飲み込むの。なんて素敵な晩餐でしょう。イザ、愛するみんなでこの最初の晩餐をとりましょう。こっちへおいで。こちらへおいで。一緒に食べましょう。一緒に。そうでなければ、あなたを、おまえヲ、クウ!」

イザはその迫ってくる亡霊の女王に魂を奪われそうになりながらも必死に二本の足で立ち、傍らにあった巨石を、歯を強く噛みしめ動かした。
その巨石は手のひらの形をしている。
重い。重い。苦しい。悲しい。イザナ。愛するイザナ。君は死んでしまった。あちらの世界の女王になってしまった。僕は生きている。闇に負けない。わが子たちがいる。彼らを闇に売るわけにはいかない。彼らを闇に喰わせるわけにはいかない。愛しているから。この世界を、光を、わが子を、愛しているから。イザは全身の血を逆流させるかのように身体の全ての筋肉に力を注入し、巨石を動かした。まずは右側の巨石を動かし、次は左。亡霊の女王が近づいてくる。「クウ。クウ。オマエヲ。イザ。ゼンブ。ゼンブ。ヒカリモ。ワガコモ。クウ。クイタイ。ハラヘッタ。ゼンブ。クウ。」イザの心臓が口から出そうになる。汗なのか血なのか涙なのか、身体中の液体が肌からぬるりと出て濡れ、落ちる。愛するイザナ。君を愛している。そして、それ以上に、僕はこの世界を守りたい。イザナの吐く声が近くで聞こえたそのとき、イザナの手が伸び、手の形をした巨石がぴたっとがっちり閉まった。
「コロセ!!!!!」
石の扉からイザナの手だけが伸び、空をまさぐっている。爪はからからに渇いて伸び、筋張ったがさがさの肌をしたイザナの手だけがそこで動いていた。
「イザ! この扉を開けなさい! 約束したじゃない! これからも神を生もうって約束したじゃない! あなたはヒノコを殺した! 私の愛する子を殺した! あなたが憎い! あなたを殺したい! あなたがこちらに来ればいいのよ! みんなをつれて来なさい!  女王の命令よ!」
イザは目を落とし、石の扉から出たイザナの腐った手を見て呟いた。
「イザナ。大切な人。君は死んでしまった。君と僕が生み、育てたわが子たちをそちら側に行かせることはできない。彼らは希望だ。夢だ。光だ。その夢や希望が叶わなくても、僕たちは光のもとで生きていかなければいけない。いや、生きる。生きたいんだ。負けても、挫けても、僕たちは生きていかなきゃいけない。何度挫折をしても、この自分の足で立ち上がり、また進むんだ。君が輝いていたとき、僕は君のそばにいた。ケンカをしたり相撲をとったり、君はいつも輝いていた。君が生んだ国々に毎朝声をかける。愛だ、愛だよと君が声を出す。そのときの君の目は輝いていた。その光が、生きるってことなんだ。国や神がこれからどんどんたくましく育っていく。その姿を僕は見たい。君の分も、僕は見たいし、見なければいけない。走って転んで膝を剥いたら、誰が彼らを抱き起こしてあげるんだい? 膝から流れる血を見て泣く彼らに誰が唾を塗って大丈夫だって言ってあげるんだい? 怖い夢から覚めて泣いている彼らに誰が心配ない心配ないって言いながら頭をやさしく撫でてあげるんだい? 君がいない今、誰が彼らに大丈夫大丈夫って言ってあげられるんだ? 僕しかいない。僕しかいないんだよ、イザナ。彼らが悩み、悲しみ、苦しい時も辛い時も、君がいない分だけ、それ以上に彼らのそばにいてあげなきゃいけない。いてあげたいんだ。だから、生きる。生きたいんだ、イザナ。僕はそちらには行けない。」
イザは嗚咽しながら言った。
「・・・コロス。待っていろ。闇が光を屠るときまで。呪ってやる。未来永劫、どんなときも毎日お前たちの世界の命を1000喰ってやる!」
イザナの声が轟音となって石の扉が揺れた。
イザは泣きながら、
「・・・そうだね、愛するイザナ。僕は決めた。君が毎日1000の命を食べると言うなら、僕はこちらで1500の命を生むよ。そしてこの世界を美しくする。」
「待って、イザ。愛する人。この扉を開けて。前みたいにみんなで一緒に暮らしましょ。あなたには私が必要よ。あなたには私の愛が必要よ。ね、イザ。この扉を開けてちょうだい。わが子たちに会いたいの。あなたに、会いたいの。」
イザナはそう言い、石の扉に頭を打ち付けているのか、扉が激しくゴンゴンと鳴り、爪で壁をひっかいているのか、叫びに似た鈍い汚れた音が響いた。
イザはヒノコを斬った剣を手に握り、天に上げ、振りおろす。
すぱっと空気が裂けたかと思うと、
石の扉から出たイザナの手が切り落され、蛇のように地面を前へ前へとずるずる這った。
「ギャーーーーーー!!!!!」
扉の向こうから女王の叫び声が聞こえた。

そしてH&Mの効き目が完全に切れたのか、

-大丈夫-
と言い、

イザの心にこう聴こえた。

私はあなたを愛しています
わが子たちも、すべての光も
いつまでも、永遠に

と。
イザは石の扉に額を付け、ちいさくささやいた。

さようなら

イザは坂道を登る。






おわり
(次回『幻日本コジキ・ZA3:天岩戸』へつづく)
© 2018 TOICHI INC.






Older »

POST COMMENT


CAPTCHA Image

online storehttp://www.store.palm-jpn.comashiya store#2 14-10 Uchidekozuchicho
Ashiya-shi Hyogo JAPAN
GUSTAVE HIGUCHIYUKO

Japanese/English
ページの先頭へ戻る